役マンのご祝儀が
十万オール?
「親方、メンツが集まらないので、ちょっとつきあってよ」
ずいぶん前のことですが、無頼派の売れっ子作家に誘われました。
私にとってはかなりの風速で、チップ1枚が5000ベクレル。
そりゃメンツも集まらんわ。
顔見知りの若手の麻雀プロもいて、少し驚き心配しました。
当時すでに麻雀プロを中心とした業界の健全化が進んでおり、プロの賭け麻雀は禁止している団体が多かったんです。
もうひとつの心配は、相手の懐。
作家さんもギャンブル好きで金遣いが荒く、出版社に相当な印税の前借りがあると聞いてました。
麻雀プロもよほどの売れっ子でない限りは、コンスタントに打つのには無理な風速です。
ギャンブルは相手の力量だけで無く、懐具合を測るのも重要です。
ほんの数回のつもりだったので、細かいルールなどは聞かずに始めたんですが、なんと、私がすぐに大三元をツモったんです。
「マジかよー」
私の手元にチップが20枚オール集まり、いきなり30万ベクレルのご祝儀プラス大トップですがな。
さらに好調が続いて、ほんの数回でメンツの致死量に達して、お開きになってしまいました。
「みんな金出せ」
作家さんは全員から負け分を徴収し、自分たちの勝敗はツケにして、私に全額支払ってくれました。
ここはさすがで、むかしの博打打ちらしい綺麗に遊ぶ作法を見せてくれました。
私にとっては高風速でしたが、この作家さんにとっては、かつてに比べれば目腐れ博打です。
作家さんをカモろうとしたプロもいましたが、筋金入りの博打打ちに、返り討ちに遭ったそうです。
昔の麻雀プロ、あるいは昔からの麻雀プロは、多かれ少なかれ、賭け麻雀中心の生活をしていました。
麻雀劇画のモデルになった、北海道最強と言われたプロは、ヤクザとでかい勝負をしてたそうです。 東京でそのTさんの対局があった時に、私は片山まさゆきさんと一緒に後ろ見をしていました。
「Tさん凄いね」
「あんな打ち方見たことない」
私たちは顔を見合わせました。
実際には華麗なアガリを何回も決めたワケではありませんが、雄大で的確な構想に驚きました。
割れた壺のカケラがビデオの逆回しで完全に復活するような。
正確には覚えていませんが、複数個所を軸にした浮かし打ちだったように思います。
Tさんはイカサマが通じた時代の打ち手だったのも、多少影響があるかもしれません。
当時の麻雀は勝つだけでなく、負ける技術も必要だったんです。
例えば四アンコタンキから1巡後にイイペイコのみでアガるとか。
当時、私はパチンコの攻略ライターをやっていたので、リバースエンジニアリンという、攻略プロが使う用語を連想しました。
素晴らしい打ち手のTさんがAリーグでないので不思議に思い、その団体の大先輩に聞きました。
「彼は気分が乗ると最高の麻雀を打つけど、対局者の手が合わないと、打ち気を無くすクセがある」
手が合わないというのは、技術や間合いの取り方の違いでしょう。
私の店でもたまに見かけます。
東パツ序盤から3メンチャンを鳴いてバックでアガる人を見ていったん抜ける年配のお客さんとか。
Tさんと一緒に高レートで打ち遊び歩いてた現役のベテラン麻雀プロは、クリーンでダンディなイメージでずっと活躍しております。
駆け出しのプロは
雀荘の打ち手で
凌ぐのもアリ
麻雀プロの原型は、やはり小島武夫プロでしょう。
小島プロの伝記的劇画のタイトルのように八方破れな人生です。
博多から駆け落ち同然に上京し、神田神保町の雀荘で働き、めきめきと頭角を現わしてテレビ出演。
阿佐田哲也先生と立ち上げた麻雀新撰組も人気で、たちまち超売れっ子の麻雀プロになったんです。
「山ちゃんね、そりゃあ稼いだよ。毎晩のように銀座に飲みに行って金をバラ撒いてたもの」
あまりにも散財してたので、やがてツケで飲むようになり、そのツケを払いに行って、またツケを残すの繰り返しだったそうです。
「女にも愛想をつかされて逃げられるし」
「先生が浮気したからじゃないんですか」
「ガハハ、そうだったかな」
古い話をしてきましたが、今のプロ事情はかなり違っています。
かつては大金を稼ぎ、大きな博打を勝ち抜くことで一目置かれましたが、今は真摯に好成績を挙げることが評価されます。
武勇伝より、データと仮説の双方向から生み出された新しい理論や実績などが人気で、男女とも新しいスタープロが生まれています。
ネット麻雀では数十万人のユーザーの頂点に立ち、プロのようにゲスト要請のあるスターもいます。
私はギャンブルライターなので、こうした高みに到達するのは無理。 勝率×風速×回数。
すべてが重要で勝率至上ではないからです。