「高宮さんが今ツモ切って、が3枚見えになりました。も3枚見えですよね。
高宮さんは先に切ってるんですが、真ん中より下でソーズメンツは厳しそうですよね」
「ソーズの上で1メンツあったとして、宣言牌のは雀頭とメンツのフォロー牌になるので、
マンズで2メンツ欲しいですね。でも先に切ってて、僕から2枚見えで、他家にもマンズ高くて、
どうもメンツ手がしっくりこないんですよね。ソーズがもしなかったならなおさらです」
「なので、より上のソーズ、やがトイツなら、自然と全体もチートイツで想定しやすいんですよね。
まあ感覚的なものなので、本当に説明はしにくいですけど・・・。
高宮さんの切りと切りの速度も、無意識のうちに情報として取り入れてるんだと思います」
確かに。高宮のそこの打牌も早かった気がする。メンツ構成の要になる中張牌の切りでも、メンツ手との天秤にかけないなら、早くなる。
「最初にと手出しだったんですけど、それはをすぐカブったけど安全牌にして先に切って、次に切ったんでしょうね。
だから最初はメンツ手っぽいけど、途中でチートイツに方針変更したんじゃないかと思ってました」
そう。まさにその通りである。
ではチートイツだと思ったとして。
なぜ当たり牌のではなく、を切ったんだ?
「ああそれは──。高宮さんがを切ったとき、が生牌だからです」
あっ。
高宮はこの手。を切ったときはこうなっていた。
「多分切りまではメンツ手も見てましたよね。なぜならチートイツに決まった手なら、
ここで受けもあって場況もいいは先に切らないので」
「で、次にチートイツに決めてを切ったのなら、それは場に1枚切れの待ち頃の牌を持っていたからじゃないですか?」
それは、である。
これがなら──、高宮はを切っていてもおかしくない。
というか、を切るのではないか。
「まあでもこの半荘はこれが最大の後悔ですね。イーシャンテンでもも切らずに降りるべきでした。
今が通ったとしても、次危険牌引いたらたぶんやめるんですよ。
チートイツならが危険で、でもそれは確定の読みでもないわけで。
次に通ってない牌引いたら、もう危険牌を2種切る感覚なんですよね。
このペンチャンリャンメンのイーシャンテンでは見合ってないだろうと。
それならもうも切るべきじゃないんですよ」
後悔のポイントが、違う。
私などは、なんで自分が切ったを手に持っていてしまったんだ、先に切れば良かった・・・と後悔しそうだ。
「それはないです。他に切っておきたい牌があって、手もまだまだで、全員の安全牌のために持ったものなので。
まあ3枚目切られていよいよチートイツが濃くなってきて、参った・・・とは思いましたけど」
この半荘、堀は終始手牌に恵まれず、アガリは0回、放銃がこの1回で3着だった。
流れが悪いとか、ツイてないとか。負けの言い訳としては誰でも簡単にこぼすことはできる。
しかし、では堀ほどに相手の手牌に向かい合っている打ち手が、どれだけいるだろうか。
理でもいい、感覚でもいい。堀の領域にはたどり着けなくとも、
言い訳の前に、いくらでもやることはあるはずだ。
堀の麻雀は、観る者を飽きさせない。
よく知る同じ団体の私でさえこうなのだ。
結果はただの3着でも。
やはり堀の麻雀は、私たちに無限の可能性を教えてくれるのである。
日本プロ麻雀協会1期生。雀王戦A1リーグ所属。
麻雀コラムニスト。麻雀漫画原作者。「東大を出たけれど」など著書多数。
東大を出たけれどovertime (1) 電子・書籍ともに好評発売中
Twitter:@Suda_Yoshiki