さてここで上家からチーテンの取れるが放たれる。
局面はラス前、3着目上家と10900点差、リーチの下家と18600点差の2着目。
三倍満男の対面寿人とは28500点差もあるため、トップが狙える状況でもない。
絶対にアガリが欲しいという場面ではないだろう。
しかし渡辺はをチーし、今12本目のスジになるを切って2000点のテンパイを取る。
リャンメンなら1/7のスジだ。約14%のリスクである。
押さないのが無難なのはもちろん渡辺もわかっている。わかっているが──、
他人の想像以上に、常にこういう押し引きの葛藤と懸命に戦っているそうだ。
渡辺にとってはこのチーテンがボーダーあたり。86%ならくぐり抜けてアガリを取ることがこの局面では得だと判断した。
実際打ち手はある程度スジのカウントをしているものだが、
指を追ってまで逐一加算している選手は他に知らない。
卓の下で正確に、地道に、左手で確率を刻む。
それは日々黙々と向かったパソコンの前でも、Mリーグの華々しい舞台でも変わらなかった。
通っていない13本目のスジ、をカラ切り。
1/6は16.6%の恐怖をいなす。
渡辺は、むしろ多くの選手は放銃を恐れすぎる、守備的なきらいがあると考えている。
確率を見れば確かにそう当たるものではないが──、
かなり押すな、と周囲が抱いた印象は一般的にはもっともなのだろう。
渡辺の感覚自体が世間と乖離していて、恐怖に左右されない極めて冷静な基準の方に身を委ねているといえる。
そしてハイテイ、最後の手番。
ツモったは今1/4、通っていない///のうち25%である。
ここでやっと切りのオリ。
リーチの待ちは、そのであった。
点差状況からすれば、ほとんどの人がここまでの押しをできないと思う。
しかし、渡辺の支持するデータ麻雀では、点差によらず比較的ラフに見えるリーチ、ラフに見える押しは結果的にプラスになることが多い。
渡辺には無難な選択に逃げたくないという意志があり、それをMリーグというフィールドでも実践し、新しい風を吹かせたいという希望があった。
寿人は豪快なアガリでその圧倒的な凄みを叩きつけ、
そして渡辺は静かに、左手に隠した指折り数える地道な行為で、そのスタイルを貫いた。
無論万人に対し見映えや格好のいい仕草というわけではないかもしれない。
しかしこの、誰に褒められるわけでもない孤独で面倒な作業をひたすらに繰り返すこと、
誰がその努力を無下にできるだろう。
これが渡辺太ですと──、左手に忍ばせた名刺で私たちに自己紹介してくれたのだった。
日本プロ麻雀協会1期生。雀王戦A1リーグ所属。
麻雀コラムニスト。麻雀漫画原作者。「東大を出たけれど」など著書多数。
東大を出たけれどovertime (1) 電子・書籍ともに好評発売中
Twitter:@Suda_Yoshiki