中央線アンダードッグ
長村大
第27話
翌日、カジに言われた通りに飯田橋にある事務所を訪れた。訪れた、というのも変かもしれない、正しくは出社であろう。
会社の名前は「有限会社バベル」、飯田橋駅とT書房のちょうど真ん中あたりにあるごく普通のマンションの9階、わずか8畳ほどの部屋である。マンションなので靴を脱いで上がるところがいまいちオフィスらしさに欠けるが、新しいデスクトップPCが4台、整然と並んでおり、案外と会社らしい雰囲気を醸しているのが少し意外だった。どこの編集プロダクションでも、仕事先の雑誌やら紙資料やらがあたり構わず散らばっているのが普通だったが、ここはまだ綺麗なものであった。もちろん汚くなるのは時間の問題であろうが。
カジは「会社を始める」と言っていたが、実際にはもう登記等も済んでおり、少しずつ業務が開始されているようであった。
社員はおれの他に二人、その場でカジが紹介してくれた。
「小山田くん、ユズキは知ってるだろ?」
「はい、もちろん」
一人はユズキという女性である。同じプロ団体所属で、しかもおれやコニシと同期の入会である。年はおれよりいくつか上で、元々フリーのライター業、つまりおれやカジの同業者であった。
そしてなにより、おれのキャッチコピーである「デジタルの申し子」というフレーズを考えて誌面にしてくれた人間である。そういう意味で恩義を感じてはいた。
「ユズキさん、お久しぶりです、よろしくお願いします」
ワイドの軍パンに黒いTシャツ、黒縁の眼鏡、髪の毛は長いが後ろでまとめている。年上ながら少しボーイッシュな出で立ちのユズキは、眼鏡の奥で少し笑って「よろしく」とだけ言って、またPCのモニターに向き直った。クールなのだ。
もう一人はソダという男であったが、彼のことは全然知らなかった。関西出身の、これも競技麻雀プロなのだが、おれとは違う団体であり、それまでも関西メインで活動してきたらしかった。それまでは神戸の雀荘の責任者として働いていたところをカジが誘い、これを期に東京に出てきたということだった。年齢は10才上で、ちょうどカジとおれの中間あたり。
「はじめまして、小山田といいます、よろしくお願いします」
「知っとんで、デジタルの申し子やんな。出版の仕事は全然やったことないから、よろしく!」
小太りで人当りの良さそうな印象そのままに、ソダは明るく返事をくれた。
「ユズキもソダもよろしくな。小山田くん、とりあえず仕事はユズキに聞いてくれ。おれはちょっと出てくるから」
顔合わせが済むなり、カジはそそくさとどこかに消えていった。
後に新しく入ってくる人間もいるのだが、とりあえずはこの4人が「有限会社バベル」の設立メンバーのような形となった。おれの初めての会社勤めである。
しかし、いざ入ってわかったのだが、バベルはいわゆる「会社」とは色々な面で大きく変わっていた。
まず「勤務時間」という概念が存在しなかった。特に予定や決まった打ち合わせなどがなければ、出社時間は決まっていなかったし、同様に退社時間も決まっていなかった。タイムカードも存在しなかった。
現在はもうだいぶ変化しているだろうが、出版業界自体が、まだヤクザな面を残していたとも言えるだろう。我々下請けの編集プロダクションだけでなく、出版社そのものも出社時間などあってないようなものであった。
仕事の内容自体は、個人でやっていたものを引き続き会社の仕事としてやることも多く、それは今まで通りだったのだが、やはり仕事の「場所」があるというのはよかった。やはり人間、家にいるとついついサボってしまうものだ。
また、T書房の編集者との付き合いは格段に増えた。事務所からT書房まで歩いて5分、ほぼ確実に麻雀の好きな人間が3~4ゴロついているわけだから、必然的に卓を囲む機会も増えた。
明け方まで打って編集者はT書房へ、我々は事務所へ戻って仮眠を取って、数時間後にまた同じメンツで打ち合わせ、という効率的なのか非効率的なのかよくわからない事態も頻繁に起こっていた。
当たり前といえば当たり前かもしれない、会社といっても、それまで会社で働いたことのある人間など一人もいないのだ。よく言えばフランク、悪く言えば雑に運営されていて、おれはしかしそのほうが断然やりやすかった。
ここからの数年間──つまり麻雀界を去るまでの時間──は、人生の中でもっとも濃い時間であったと思う。いろいろなことがあり、中には辛いこともあったが、少なくともその後のダラリとした人生よりはなにかをやったような気になれていたのも事実だ。
なにかがやれたかどうかは定かではないが。
第28話(7月10日)に続く。
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