中央線アンダードッグ
長村大
第30話
T書房に新しく編集部員が入社した。名前はヤナセ、中途入社であったので年は少し上だったが、ほぼ同年代と言っていいだろう。フリー雀荘ではそれなりに鳴らしていたようで、見た目はトッポイ兄ちゃんといった感じであったが、退屈に耐えられない、バクチ好き特有の目の光があった。
ヤナセが入ってから、T書房とのセットの回数が格段に増えた。いかな編集職がかつてのヤクザ気風を残していたとはいえ、やはり終電になれば家に帰って寝る。次の日も仕事があればなおさらだ。
だが、彼にはそういう「家に帰って寝なければならない」感覚があまりなかった。その辺は我々と似ていて、編集部のソファで少し横になればいいや、とりあえず続けましょう、みたいな感じであったし、誘いは断らなかった。退屈がなにより嫌いな人種は、いるのだ。
普段のT書房麻雀は、ピンのワンスリーの東風戦であった。一晩2~3万も負ければ大きな方で、まあ健全な部類に入るだろう。お互い仕事相手でもあるので、借りにならない程度のレートにしておこう、という配慮もあった。
ところがある日、ヤナセが言った。
「ちょっと上げません?」
もちろんレートの話である。我々──と言うとまるで組んでいるようだが、そんなことは一切なかった──としても異論はなかった。実際もうちょっと高く遊んだほうが楽しいのだが、こちらは一応プロである、日常的に遊ぶ相手にレートアップを望むのも気が引けるものだ。また、他の編集部員はあまり乗ってこなかっただろう。
最初は倍、つまり2-2-6だったが、すぐに3-3-9になり、これが定番レートとなった。箱ラスで1万8千円、ご祝儀ももちろんあるので10万程度の負けは珍しくない。
一応断っておくと、金があるからレートを上げたいわけではない。金など誰もなかったし、ヤナセとて我々よりはマシという程度である。しかし、逆に金がないから上げたいわけでもない。つまり、結局はただ単に上げたいのだ。
競技麻雀は、金を賭けない。賞金はあるが負けがない、それは賭けとは少し違う。それ以外のなにかを賭けているわけで、それは名誉だったりプライドだったり、あるいは個々人のアイデンティティ、存在価値だったりもするだろう。
だが、巷の麻雀は金以外のものを賭けない。ならばより高い方が面白いに決まっている。かといってあまり高くなりすぎると、今度は逆にリアリティが失われてしまうわけで、当時の我々にとっての境界線が、このあたりであった。
「リーチ!」
ヤナセが顔を紅潮させて叫んだ。
とうに夜明けは過ぎており、泣きに泣きを重ねてさすがにこれで本当のラス半、という場面だ。泣いていたのはヤナセであり、15万以上走っている。ただし、帳面なのでまだ財布から現金が出ていったわけではない。
ヤナセ以外の三人、つまりおれとカジ、ソダのバベルの三人が、だいたい均等に勝っていた。
ヤナセの親リーチはこんな手だった。オーラス、今回もラス目である。
ツモれば四暗刻。役満祝儀もあるのでツモれば大きい、負けがチャラになるほどではないが、それでもだいぶ助かる。
ヤナセのツモる所作に力が入っているのは、誰の目にも明らかである。どう見ても勝負手であり、一種のキズであるが、この場合はさほどマイナスにはならない。ツモアガリの価値がはるかに大きい手、他者に押されて当たり牌を切られるよりは、オリてもらったほうが良い。
おれとカジは早々にオリていたが、ソダは押しているようだった。をポン、トップ目からの逃げ切り狙いだろうが、そこまで強引にいく必要はない、ある程度でオリにまわることもあるだろう。そう思って静観していた。
ヤナセの思いもむなしく、山は残りわずかになっていた。ツモ番は残り一回、流局濃厚である。
ソダが少考後、ツモってきたを加カンした。
あッ、と思った。カジも似たような表情を浮かべている。
親リーチのツモ番がまだ残っている状態で、トップ目が加カン。しかも、それによってハイテイもヤナセの手番になる。ということは、だ。
ソダがツモ切ったリンシャン牌は、無筋だった。もう疑う余地はない。
ハイテイ、ヤナセのツモ番。
「……嘘でしょ?」
河に叩きつけられたその牌は、もちろんだ。ハイテイは、カンできない。
「お、ロン」
ソダが手を開ける。
開けるまでもなかったが。
(上家からポン、加カン)
「マジかー! ちくしょう!」
よせばいいのに、ヤナセはリンシャン牌をつまんで見た。これもまた言うまでもなく、そこにはが寝ていた。
見えていない牌をめくってみたところで、良いことなんてなんにもありはしないのだ。自分で自分の傷に塩を塗りこむのがオチだ。
だがしかし、ガックリと肩を落とすヤナセは、まさに勝負に負けた人間の姿そのものであり、それが逆に微笑ましくも思えた。同族相憐れむ、かもしれないが、どこか憎めない男でもあった。
第31話(7月20日)に続く。
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長村大
第11期麻雀最強位。1999年、 当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位に なる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロをやめている。 著書に『真・デジタル』がある。
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