中央線アンダードッグ
長村大
第42話
元来、おれは昔のことをあまり憶えていないほうだと思う。小学校に入る前の記憶はなに一つないし、小学生時代も断片的な場面、あるいは「そういうことがあった」という言語化された記憶がほとんどだ。わずかに脳内に残っている映像も、オリジナルの記憶なのか後から捏造された映像なのか判断ができない。おそらく後者なのだろう。
だが、そういう曖昧さとは違った意味で、この数か月の記憶はどこかぼんやりしている。どこでなにをしていた、こんなことがあった、そういうことはしっかりと憶えている。だがその明確さとは裏腹に、なんだか靄がかかったような、摺りガラスを通して見ているような、少し気持ちの悪い、視界の悪い光景として思い出される。
残り少ない金を握りしめて、おれは電車に乗った。もう急ぐことはない、なにか──おもに金だが──に追われることもない。一応の目的地はあらかじめ考えてはいたが、そこに行かなければならないというわけではない、目的さえ達成できれば場所はどこだって構いやしない。鈍行列車に揺られながら、そんなことを考えていた。
二時間か三時間ほどだろうか、だが結局、おれは当初の目的地の駅に降りた。海っぺりの、かつては観光地として隆盛を極めたその街はしかし、シーズンオフということも相まってなんだか異様なほど閑散としていた。商店街でさえ人もまばらだ、それを抜けて海沿いの幹線道路の脇に出ると、もう歩いている人はほとんど誰もいなくなった。普段は急いでいなくても歩くのが早いおれだが、この日は自然とゆっくり歩いていた。
岸壁だ。
岩に当たった波が白く砕ける。
かつて自殺の名所と言われたそこは、観光地としての凋落と共にその地位さえ失っているように思えた。
あるいは人は笑うかもしれない、たかだか数百万の借金でと。もっと辛い人間もいるし、もっと絶望的な状況の人間もいると。そうだろう、おれもそう思う。
悲劇の主人公を気取りたかったわけでもない、そこまでアホじゃないしナルシストでもない。そもそも悲劇ですらないのだ、すべておれの怠惰と見通しの甘さに起因した状況であり、おれ以外に責任を負うべき人間は一人もいない。理不尽も不運もそこにはない。
辛いとか絶望とは違う、ただもう、面倒くさくなってしまった。おれはとびきりの面倒くさがり屋なのだ。
金がどうした、店がどうした。たとえ一時的にこの状況を脱したとしても、次から次に考えるべきことは襲ってくる。もううんざりだった。もっとシンプルに生きたかった。
麻雀はシンプルだな、と思った。
勝てば金が入り負ければ失う。それだけだ。そういうところが好きだったのかもしれないな、と思った。
5分か、あるいは一時間ほども立っていたか。波は飽きもせずに岸壁にぶつかっては白く砕け続けている。おれも飽きもせずにそのループを見続けていた。
半歩踏み出す。半歩ぶん、崖の下がリアルになる。
怖い。
なにか楽しかったことを思い出そうとしたが、なにも思いつかなかった。文化祭の前日にどんな気分だったか、もう思い出せない。あるいは文化祭なんてなかったのかもしれない。
いずれ胡蝶の夢か。なんだかおかしくなってきた。地球はかいばくだんでもない限り難しいミッションだな、でも地球はかいばくだんだとおれ以外もみんな死んじゃうな、それは悪いな。そんなことを思いながら、おれはトボトボと来た道を、さらにゆっくりとした歩みで戻っていった。
一帯を歩き回って探した、素泊まり三千円の一番安い宿に泊まった。この世のものとは思えないくらいボロい宿で、帳場のババアの態度もそれに準じた仕様だったが、久しぶりにぐっすり眠れた。後始末で困る人のことを考える余裕はなかった。いや、それすらもどうでも良かったのだ。なにせこれは夢だ、反転すればおれはパタパタとその辺飛び回る蝶だ。あるいは石油王だ。
起きてもすることはない。金もない。
あてもなく歩いていると、とある看板が見えた。「大三元」、見慣れた文字列である。見るから寂れた感じではあったが、こんなところにも雀荘があるんだな、と思った。
ふと見ると、貼り紙がしてある。「従業員募集、寮完備」。
そうか、と思った。この手があった。こんな寂れた店なら、年寄りばかりでおれのことを知っている人間もいないだろう。
いきなり入っていくのは躊躇われる、まずは電話をすることにした。
切りっぱなしにしている携帯電話の電源を入れるのは怖かったので、公衆電話を探して電話した。
「貼り紙見て電話したんですが……」
「じゃあその辺にいるんでしょ、すぐ来てよ」
聞いただけで顔まで想像できるおっさんの声が、想像以上のボリュームで耳に刺さった。
第43話(8月31日)に続く。
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