中央線アンダードッグ
長村大
第10話
大会の予選などは、たいがい時間打ち切りというものがある。60分なりで、南4局まで終わっていなくても終了になるのだ。前局の途中に、立会人から「次の局で終了してください」とのコールがあったので、これが最終局となる。
これはおれにとってラッキーだ。
微差の三着目、本来なら細かい点数で連荘しても、結局次局にまくられる可能性がある。しかしこの場合は、アガればそれで終わりなのだ。もちろん流局テンパイでもかまわない。
サイコロを振って配牌を取る。牌山2トンを掴んで上山2枚を立てて、その右隣に下山2枚を並べる。右手だけを使い、途中で牌から手を離さずに一連の動作で行う。これを3回繰り返し、親なので、人差し指と中指、薬指と親指で最後の2枚を取って配牌完了である。これは最後が下家の山だった場合で、上家か対面の場合は親指と人差し指、中指と薬指の背で取ることになる。
こんなのはまあ細かい所作で、なにが正解という類の話ではない。当たり前だが、こぼしさえしなければどんな取り方をしようがかまわないのだ。
だが、おれはそういうのが好きだった。なるべく綺麗によどみなく、そして無駄のない動きで。両手でガチャガチャやるのはみっともない気がしたし、なんとなくプロっぽくないと思っていた。
今はもう自動配牌の卓がかなり普及しているので、巷の麻雀で「配牌を取る」なんてことはほとんどない。いいことだと思う、そのほうが早いし、配牌途中でこぼすこともない。おれも含めて、牌捌きも、みなあまり気にしなくなってきた。そりゃそうだ、そんなもん実力とは本来関係ない。
だがたまに、久しぶりに配牌取ってやりたいな、と思う。ただのノスタルジー、すぐに面倒くさくなるのだろうけれど。
おれ有利で始まったはずのオーラスはしかし、あっけなく幕を閉じた。5巡目、ツモ、ゴットー。手を開いたのはコニシだった。
おれとラス目との差は300点、500-1000をツモられると親っかぶりでラスである。コニシはこれでトップ、4連勝で一位通過だが、だからといってなにか特典があるわけもない。
「…辛いな、おまえは」
冗談まじり、言ってみた。
「情かけてほしかったの?」
コニシが答える。もちろんコニシの情(じょう)打ちを期待していたわけではない。勝ち上がりが確定的だといって取れるトップを捨てる理由はない、おれでもそうするだろう。たまたまそれがコニシだっただけの話だ。
「コニシさんのおかげで落ちたっぽいな」
「まあでもどうなの、けっこう微妙なんじゃない?」
他愛のない話をしつつ、集計結果が出るのを待つ。そう、ラスとはいえ、微妙なところではある。だが正直なところ、負けたとてそれほど悔しいわけでもなかった。残りそうなところから落ちた悔しさは多少あるにせよ、よくあることと言えばよくあることだし、そもそもまだ一次予選の20%勝ち上がりだ。先は長いし、だいたい負けるものでもある。
マイナスで終わった者、敗退が確実な者は帰り支度をし、すでに店を出るやつが現れはじめたころ、立会人が言った。
「集計結果が出ました、一位はコニシ選手」
パラパラとまばらな拍手が起こり、続いて結果順に名前が呼び上げられていく。
「……以上が二次予選勝ち上がり者となります」
おれの名前は呼ばれなかった。
「やっぱダメだったか、おまえのせいだぞ!」
笑いながら立ち上がろうとしたとき、再び立会人が声を張った。
「プラス小山田選手と〇✕選手は補欠になりますので、二次予選当日、会場に来てください」
補欠。当日に急の欠場者が出た場合、繰り上がりで出場できる権利である。
「うわあ、めんどくせえ」
思わず本音が出てしまった。
こういう大きな大会の場合、ほとんど欠場者は出ない。だいたいが行くだけ行って、ハイお疲れさまでした、となるだけだ。とはいえ万が一欠場者が出たら、と思えば行かないわけにもいかない。
「負けるならスパっと負けたほうがマシだよな」
苦笑いでコニシに話しかけ、おれは会場を後にした。
帰りの電車を待ちながら筒井康隆を開いたが、あまり集中できなかった。文字を追っているだけだ、内容は右から左に抜けていく。仕方なく本を閉じて総武線に乗り込み、ドアの手すりにもたれて外を見る。
夕刻というにはまだ早い時間、市ヶ谷の釣り堀にはまだ、糸を垂れている人々がいる。100万回見た光景だが自分で行ったことはない。そもそも釣りというものをやったことがない、楽しいのだろうか。
市ヶ谷を過ぎて四ツ谷信濃町千駄ヶ谷代々木、次の新宿でたくさんの人が降りてたくさんの人が乗る。大久保東中野、このあたりまで来るとようやく、自分のテリトリーに帰ってきた気になる。
中野の次の高円寺で、なんとなく下車した。
安くて有名な駅前の焼き鳥屋「大正」はすでに、仕上がった中年男性が詰め込まれている。バンドマンが騒いでトラブルでも起こしたことがあるのだろうか、表にはでっかく「金髪入店禁止」の貼り紙がしてある。なんという傍若無人なルール、今では考えられないし、「大正」以外で見たこともない。
金髪入店禁止を横目に見ながら、ガード下を阿佐ヶ谷方面に歩く。アジア雑貨屋で安いお香を買った後、中古レコード屋の店先で300円CDコーナーを物色する。基本的には数年前に流行って大量に出回ったCDばかりでそれらには用がないが、たまに掘り出し物が混じっていることがある。この日はボウズだった。
さらにまだ開店していないスナックや飲み屋の類を通り過ぎ、味というよりは存在感で有名な定食屋「カケフ」を過ぎると、あとはもう殺風景なガード下を歩くだけだ。
道中ずっと考えていたこと、おれはほんとうにコニシのアシストを期待していなかったか? 勝ち決まりのコニシが甘く打ってくれるかもしれないと、少しも思わなかったか? そうだったとして結果が違ったかはわからない、少なくともオーラスに関して言えば同じだったろう。だが、もしかしてどこかに気の緩みがあったとしたら?
負けてからこんなことを考えるのは、おれにしては珍しい。
いずれ自分の脳内のことながら、しかし答は出なかった。
家に辿り着き、あまり集中できないまま効率悪く原稿仕事を少しやって、その日は缶ビールを一本だけ飲んで寝た。
第11話(5月11日)に続く。
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