次巡も安牌のを残して切り。さっきより手牌が悪くなったようにも思えるが、ゼウス的にはよりものほうが安全度という面ではるかに優秀。受けながらの高打点への手組としてさらに半歩前進したととらえているかもしれない。
そんなたろうの選択に牌が応えるかのように、カンを引いて678三色イーシャンテン。
村上のリーチを受けるも……
危険牌を切ることなく聴牌! そして追っかけリーチ!
これを一発で村上から召し取る!!
まさに「神の手順」。リーチ・一発・タンヤオ・ピンフ・三色・ドラの跳満のアガリ。一度浮上した村上を押さえつけ、二着目に浮上する。
ゼウスの選択はまだまだ終わらない。続く東4局、たろうの親番。
イーシャンテンだがシャンポンの片割れであるは既に二枚切れ。
素直にイーシャンテンに取る or 。
七対子も残しつつ、タンヤオ系を目指す打。
ペン受けの場況が悪くないのでそこを残す打。
ぱっと思いつくだけで様々な選択があるが……
たろうの選択は打。
・マンズはドラ受けもある
・ペンは悪くない
・が自分含めて3枚切られており、フリテンの両面になっても価値が低い
上記三つが主な理由だろう。きついシャンポン部分はとの横伸びに委ねた形かと思われた。
をナイスキャッチ。だがこの聴牌はが二枚切れ。
当然を切って、とのくっつきの形に受けるかと思われたが……
たろうの選択はリーチ!!!!
なるほど。こそないが、もう一方のは国士風味の園田・切りが早い村上・を切っている朝倉三者ともそこまで持っていなさそう。
なによりいまここで親のリーチと宣言するのと、聴牌を外してその間他家に自由に動かれてからのリーチと、どっちが相手にとって嫌か。トーナメント半荘勝負の条件戦、対戦相手の心理も考え、たろうは即リーを重く見た。
掻い潜ってきた村上の追っかけリーチを受けるも……
さも当然のように、山に二枚いたをツモり上げるたろう。
いったい何人がこのアガリにたどり着くだろうか。もちろんの場況の良さ、親リーチの相手にかける圧力を考えればこのリーチに思い至る人は少なくないだろう。
大事なことは、多くの人に見られているこの場面でメジャーでない選択を選べるということだ。
人に見られている・絶対に失敗できないという意識の中では、選択が無難な方向に寄りがちだ。尖っているからいいというものでは当然ないが、自分の中で正しいと思う選択を選べない、それはつまりぶれているということなのだ。
たろうオリジナル「ゼウスの選択」、その本質は誰よりも自由であるということ。
人の目から、セオリーから、あらゆるものから解き放たれ、真摯にゲームそのものを見つめ続けた自身の選択を信じられる奔放さ。
”ゼウスの選択”はこれだけにとどまらなかった。
【ゼウスの未来視】
東4局から村上が食らいついて迎えたオーラス。たろうとの点差はわずか2200。
これはつまり聴牌ノーテンで変わってしまう点差。たろうは村上がノーテンだと確信できない限りは伏せられないのだ。
たろうは手を組まざるを得ない。村上・朝倉も当然条件を満たした手を組みに行く。唯一園田にのみ選択権が残されてはいるが、基本的には親のたろうへの不可避の高打点放銃があり得る以上、降り気味で下家村上のアシストを狙うのが一般的だろう。
手を組まざるを得ないたろうだが、ここでお荷物になるのがドラで村上の風の。
切って村上に鳴かれれば、8000放銃可能な園田が当然アシストに回る。
切ったところで自身の手の打点は現状見えず、リーチ棒を出したくないくらい僅差。それなら自身で重ねて打点にしてしまうことも考えてここまで持っている。
ここで園田がポンから動く!
自身のタンヤオアガリでの決着はもちろん狙っている。
この仕掛けの真意、それはたろうに真っ直ぐ手を組ませなくさせることだ。
たろうは先述のとおり前に出ざるを得ないが、正直この局で終わらせたいと思っている。
園田が前に出る姿勢を見せることで、1000点2000点なら打てる親のたろうからのアシストや差し込みが期待できる。ドラがということもあり、打点は絡みにくい状況だ。
そしてたろうがアシスト・差し込みに回って手を組まなくなれば、それは親のたろうへのいわゆる高打点放銃を少なくすることにもつながる。
見た目の不安定さ以上に保険がきいたこの仕掛け。各々の雀力を信頼しているからこそ、動き出せるまさに理詰めの極致だ。