中央線アンダードッグ
長村大
第60話
1本場。
プロとはほぼ並んだが、こことの差は今のところ意味がない。意味があるのはトップのカジとの点差で、9千点ほどだ。南3局、まだオーラスが残っているが、もうひとアガリで逆転できる。ありふれた言葉だが、まさに勝負所だ。
一つ息を吐き、サイコロを振る。良い目と出ろよ、と思いそうになり、それを自ら打ち消す。違う、良い目にするんだろう。
抜群に良いわけではない、だが悪くない。ツモ次第ではハネマンクラスまで見えるし、いざとなれば鳴いて連荘狙いにもいけるだろう。
第一打、。ミスのないように、慎重に。
カジの第一打が目を引く、だ。次巡に切り、カンチャンとはいえ、いきなりど真ん中のターツ落とし。国士無双狙いか、もしくは得意の一色手か。一色手としても、まだ色はわからない。
おれのツモも悪くない、序盤にとツモってこの形。
ここから打とする。
「ポン」
カジから声がかかる。ブラフをやるタイプではない、やはり一色手だろう。
だが同時に、数巡でおれの手も進んでいった。
456の三色イーシャンテン、打。9巡目ですでに速いとは言えないが、大チャンス手であることに変わりはない。ただし上家の漫画家がすでに死に体ゆえ、チーには期待ができない。自力でテンパイする必要がある。
同巡、カジが手の中からを切る。ピンズ、ソーズ、字牌と並べて、ついにマンズが余ったか、場にピリっとした緊張が走る。
次巡ツモ、打。イーシャンテンは変わらずだが、あまり嬉しくないツモだ。なにかしらマンズを切らなければならなくなった。
カジ、さらに手から切り。いよいよテンパイは濃厚に見える。
ツモ、。ついにテンパった。
を切れば三面待ち、だがカジにをポンさせていてフリテンだ。ならば切りのリャンメンに受けるか。
カジは打からの打、少し変則的だが、いずれにしろ現物以外のマンズは当たる可能性がある、特に下目は危険に見える。ノーテンの可能性は低い。
1分は考えたような気がする。だがもしかしたら10秒だったかもしれない。集中していた。
結局おれは打、現物を切ってとのシャンポン待ちにした。ダマテンである。三色はなくなるが、ひとまず出アガリのきくテンパイに取る。字牌は出切っている、を勝負して放銃すれば満貫以上は確実で、それはすなわち負けを意味する。それに、この手はまだ終わったわけではない。
次巡、ツモ。
これだ。
は切っているので、ツモは面白くない。だがなら最高だ。
メンタンピンドラ1で打点もある、そしてカジの色ではないピンズテンパイ。カジが向かってきて打っても、打たずにオリても構わない。
「リーチ」
思いの外、落ち着いていた。緊張はない。
脇からの出アガリはまずない、アガるなら直撃か、ツモだ。そしてそれは──もしこの後におれが勝つ未来が存在するならば、だが──もっとも大きな勝因となるアガリのはずだ。
感触はいい。
アガれる、と思った。
そして勝てる、と。
思ってしまったのだ。
勝負の途中で勝ちそうだと思うバカがいるだろうか。
そして、勝つと思った瞬間から敗北が始まる。
カジがツモった牌をそのまま打つ。迷いはない、小気味よい摸打。
ピンズ、だがではない、。
ツモ番が来る。一呼吸してツモる。
真一文字が盲牌した親指に刺さる。、最初にカジにポンされた、そして最初のテンパイのアガリ牌でもある。
静かにそれを捨て牌の最新の位置に置き、河の情報を更新する。
「ロン」
カジから声がかかる。それはおれにとっての、試合終了のゴングだ。
待ちのチンイツ。
そうか、と思う。
結果的におれが助かる道は──その選択が正しいか、あるいは実際におれの取った選択が正しいかは問題ではなく──、最初のテンパイでを切ってのフリテンリーチしかなかった。それ以外はすべて放銃になる。
おれが負けた証でもある、1万2千点と3百点を払う。
徐々に、一秒ごとに、少しずつ負けを受け入れながら、おれは思う。
フリテンリーチ。ついさっきも結果的にフリテンリーチになり、それに助けられた、二十年前と同じように。
だから今回もフリテンリーチ? そんなバカな理由はない、自信を持って打ち消す。
たぶん、おれの選択は正しかったと思う。カジの待ちが読み切れない以上現物を切ってテンパイ維持、そして最高の変化。カジの切ったはそれがであっても切っただろうし、おれの一発ツモがであることもまた、あるはずだ。
だが、今回は違った。それだけのことであり、それが結果でもある。最善に思える手を打って、最悪の結果が出る。今まで百万回起こったことがまた起こっただけだ、全然珍しいことじゃない。それがカメラのついた最高の舞台であろうが、歌舞伎町の片隅の薄暗い東風戦でも。
おれはオーラスを打っている。中張牌をバラ撒いて国士みたいな顔をして、頃合いになったら鳴かれないよう、打たないように。それが正しいのかどうかわからない、だが慣れたもんだ、昔よくやってたんだ。
でもあれだな、と思う。
こんな、麻雀の姿を壊さないためだけに打つ局が、最後の麻雀とはね。
まあでも、こんな場面で打てているわけだし贅沢は言えない、むしろすべてが中途半端なおれにちょうどいい終わり方かもしれないな。
おれは全員に通る、鳴かれないなにかを切った。それが、おれの最後の打牌になる。