残酷なまでに平等な
麻雀という世界で
近藤誠一は再び
奇跡を起こせるのか
文・ZERO【火曜担当ライター】2021年3月9日
近藤狂想曲
佳境を迎えつつあるレギュラーシーズンで、とんでもないことが起こった。
先週の木曜のことだ。
オーラス、近藤がラス→トップとなる倍満を決めたのだ。
私もリアルタイムで観戦していて、「うおおおっ」っと声が出た。
またたく間に「近藤さん」「誠一さん」というワードがトレンド入りし、「神の左手」と絶賛されることに。
空気を読まずに言わせてもらうと、
私は世間の異常な盛り上がりぶりに逆に引いてしまった。
たしかにこんな現象はめったに起こらない。
「高め一発ツモ」と「裏ドラ」の複合…という薄い条件をクリアしての逆転は、経験豊富な近藤自身も「3日くらい興奮しそう」「近藤誠一史上上位のアガリに入る」と語るくらい稀有な現象だ。
ただ内容を見ると、特に神懸かり的な手順があったわけでもなく、ほぼ手なりである。
(補足・道中
ここから678の三色を見てを切るか456の三色を見てを切るかという分岐があり、もしここでを切っていたらテンパイ形は
こうなるので、ツモ・ツモの手変わりを見てヤミテンに構えていた可能性が高い。そちらのほうが倍満になる期待が高いからだ)
もう崖っぷちであるフェニックスのここぞという場面で出たからこそドラマティックに映るのはわかる。
しかし、だからといってこの半荘、逆境を作り出してしまったことを棚に上げ「神の左手」「誠一さんはここぞという時に必ず何かを起こす」「なんという精神力」となるのは少し過剰に感じる。
「珍しい現象だけど偶然の産物」にすぎないことを、近藤自身は認識している。
世間の盛り上がりに反比例するかのように斜に構えた私だったが、いやこれこそが麻雀の持つ唯一無二の魅力でもあるな…と思い直した。
危険になりうる牌を先に処理したり、下家に絞りながらベタオリしたり、山読みによるわずかな差でターツ選択をしたり…麻雀でやれることは見た目以上に地味だけど、結果は派手に分散する。偶然の要素がかなり大きいのだ。
しかしそこに人間ドラマ、チーム戦によるドラマが加わることにより、日本のトレンドになるくらいの熱狂を生み出すことにつながった。
他の経験豊富なプロだって感動していたし、何より私も大きな声を上げたではないか。
麻雀…これほどドラマティックで、平等で、残酷なゲームを、私は他に知らない。
レギュラーシーズン最終盤。
こういう重要な場面になると、局収支とか期待値とか確率じゃない。
結果が全てである。
道中何があろうとも、ポイントを持ってかえってくることが最重要だ。
この男に託すしかない…
こうして、再び近藤誠一が熱狂の舞台へ戻ってきた。
3月9日 1回戦
北家 近藤誠一(セガサミーフェニックス)
東1局 慎重な幕開け
近藤はこの手牌からさほど考えることなく、を切った。↓
あれ、大三元は残さないのか。
たしかに他に切るものがないから普通といえば普通なのだが、近藤っぽくないなとも感じた。
手は進んでここから打↓
ドラが浮いてしまう。実況の松嶋も「え…?」と驚いた。
が2人の現物で、カンよりはペンの方が感触がよく安全である。
それは理解できるものの、なかなか真似のできない選択だ。