安藤満プロの
亜空間殺法
久しぶりの見出しで懐かしい方も多いかと思います。
亡くなってから20年近くになるので初めての方もね。
ツモ ドラ序盤2枚目のオタ風を見送った時、安藤満さんならポンだったかなと思いました。
その安藤さんの物語が荒正義プロの原作で本誌で始まるというので、安藤さんとその時代の当時の麻雀プロの事を少し。
安藤さんはポンを多用する打法を亜空間殺法と名付け、大人気になりました。
「亜空間でポーン!」
若者の声が多くの雀荘に響き渡ったほどでした。
クズ手から仕掛けて対戦相手にブレーキをかけて降ろす。
あわよくば役牌を重ねようなど。
私が目撃したのは、冒頭の手牌のような形からポンとしかけて注目を集め、いつの間にかドラのをアンコにしてアガってました。
「やっぱりドラアンコかあ、降りて良かったあ」
「へへへー」←安藤さん。
これは偶然でしょうけど時間稼ぎができた事だけは確か。
私が好きだったのは、安藤さんのアガリに向かわない鳴き。
○当時はメンゼンで役作りするのが強くてカッコ良いとされ、
○仕掛けは遅くアガリは素早くが基本でした。
○アガりに向かわない鳴きは、仕掛けは早くアガりは遅くです。
凄いでしょ。
今で言うブラフかもしれませんが、私も何回かハメられました。
亜空間殺法の知名度の高さから、安藤満プロは鳴き麻雀のイメージがありますが、もちろんメンゼンも強いです。
プロ仲間を集めて「牌理塾」を主催し牌効率などの研究をしていました。
牌効率という用語は、現麻将連合代表の忍田幸夫プロが当時近代麻雀の連載で多用し定着。
鳴き名人の安藤さんらしく、鳴かせない技術も得意。
たとえば下家がマンズ模様だけど、要らないを切りたい。
「そういう時はから切ったほうがいい」
なら食い伸ばししそうだけどだと迷うとか。
なるほどですよね。
ギリギリの勝負に
勝って来た
安藤プロは食道癌の治療で入院してた時、その過酷さのあまり
「このままでは殺される。麻雀が打ちたい」
と強引に退院し麻雀名人戦で優勝しました。
医学的なことは分かりませんが、私はそれが正解だったように感じてます。
安藤さんは近代麻雀などで、コラムやむこうぶちなどの原作を連載しており、私は安藤さんのコラムを単行本として読みたかったので、白夜書房の末井昭編集局長に相談しました。
当時雀王という漫画誌を出していて、私と西原さんも連載中。
私のこのコラムのタイトルの元になった「デカピンでポン」という企画のゲスト第一号は安藤プロ。
今なら無理な企画ですよね。
先に安藤満プロに話を振ったら、
「親方、連載分は単行本にしたくてまとめてある。足りない分はすぐに書くからよろしく」
この反応の速さが素晴らしいと思うんですが、「安藤満の麻雀亜空間でぽん!!」の発売とほぼ同時に雀王が廃刊になったんです。
原稿が少しでも遅れてれば出版はありませんでした。
さらに安藤さんの人気人脈営業力もすごくて、初単行本は完売しファンと白夜書房に喜ばれました。
「雀荘の麻雀大会のゲストでサイン本を持参するんです」
「それは売れそうですね」
「いや、参加費の中に強制的に参加賞の単行本込みにするんです。わはは」
さすがです。
単行本が続けて出版されるようになると、その戦術は広く知れ渡る。
結果的に亜空間殺法はその威力が失われてしまいます。
「ポン」
「安藤さんバラバラですね」
続けて、
「ダブ切ります」
「ドラどうぞ」
とかね、
ホントですよ。
これにはご本人もちょっと悩んでいたようです。
一時「亜空間殺法封印」なんて云ってたくらいです。
ここが雀ゴロとプロの大きな違いで、自分の強さの秘訣は勝負に勝つためには秘密にしておくべき。
でもみんなに知ってもらいたいというジレンマです。
安藤さんは交友関係も広く、団体を超えて麻雀業界の発展に大きく貢献しました。
私は最初の麻雀テレビゲーム極に、他団体の井出洋介プロなどと登場したのも大きかったと思います。
現在のようなオンライではありませんが、ゲームセンターやサウナ風呂などで大人気でした。
安藤さんの物語が盟友荒正義プロの原作というのも大いに期待しています。
荒さんも安藤さんのように、依頼があればいつでも書けるプロだし、当時の麻雀プロだけでなく、むこうぶちの世界にも通じているからです。
(文:山崎一夫/イラスト:西原理恵子■初出「近代麻雀」2021年10月号)
●西原理恵子公式HP「鳥頭の城」⇒ http://www.toriatama.net/
●山崎一夫のブログ・twitter・Facebook・HPは「麻雀たぬ」共通です。⇒ http://mj-tanu.com/