掴めば終了と思われるババではあるが、村上は平素でも、地獄待ちに打って仕方ないと思う打ち手ではない。
「まずを切っておけば、一発の4000点分は損しなかった」
「そしてもしかしたら、次巡に松本が石橋のトイトイに打ったかもしれなかった」
村上から見て、が場に3枚出ており、松本がメンツ手であるならはもちろん危険スジの一つだ。
しかし、は3枚切られているので、チートイツには絶対に当たらない。
思えば村上は一発目にを掴んだとき、かなり考えていた。
おそらくチートイツであるが、メンツ手の可能性は完全に消去できるのか━━、
メンツ手だとして、待ちがあるのか━━、
チートイツだとしても、地獄単騎の待ちになっているのか━━。
今局面を確認しても、ちょっと難しい。
メンツ手はやはりゼロとは言い切れないかもしれない。想定できるメンツ構成もカウントできなくはない。
村上は、試合中の極限状態でも、それを懸命に考えていたのだと思う。
視聴者のほとんどが、ただ抱いたであろう「村上はツイてない」という、
人間なら当たり前のように感じる印象。
しかし村上は、もう20年以上前からこう唱えている。
牌の並びはランダムだと。
誰かに与することも仇なすこともない。誰かの行動が影響を与えることも決してない。
かつては今よりもっと、麻雀に流れとか状態という概念が根づいていたこの世界で、
単身地動説を主張したガリレオのように、村上はそう言い続けていた。
当たり牌がそこにあったことをただ不運で片づけるのではなく、
ランダムに置かれたその牌に対し、自分の出来る最善は何だったか。
その模索を怠らないのが、村上淳という選手の根本なのだと思う。
世界中の誰もが不調だ不運だと牌の巡りを嘆いても。
放銃必至の地獄単騎を掴んでも。
麻雀界のガリレオだけは、確かにその向こう側をにらんでいたのである。
日本プロ麻雀協会1期生。雀王戦A1リーグ所属。
麻雀コラムニスト。麻雀漫画原作者。「東大を出たけれど」など著書多数。
東大を出たけれどovertime (1) 電子・書籍ともに好評発売中
Twitter:@Suda_Yoshiki