村上がをアンコにしてテンパったのは17巡目だ。
地獄の単騎でホンイツ・小三元。
それから──、優がドラのを掴んだ。
は序盤に北家が1枚切っている。
村上に、単騎やシャンポンは果たしてあるのか。
そして優は蛮勇とも見える切りに踏み切って、生還したのである。
まず、最も優にとって重要なのは現在の点棒状況であった。
トップと31000点差離れた3着目、ラス目の村上とは8000点差だ。
ここでオリて、村上の一人テンパイで親が落ちれば、4000点村上に詰め寄られて十分にラス落ちの未来がある。
2着目とは14400点差で、今自分がテンパイなら11400差にできて親番も続く。
2着だって、トップだってまだまだ狙える半荘なのだ。
そして村上の動向である。
国士狙いから三元役、ホンイツにシフト。
しかし上家がこれでもかと下ろしたソーズにはほとんど食いつかない。
をポンしていて、をスルーして、次巡のをチーだ。
これは、実際がそうであったようにとあって三元役を目指した場合の動きになる。
しかも、村上の置かれた状況、他がかなりバラバラの手なら、よりあり得る挙動だ。
スルーの選択は、の場合より想定しやすいのではないだろうか。
ということは、何か三元牌が余って捨てられない限り──、4枚の手牌でが当たることは牌理上ないのである。
またここまでの捨て牌を見ると、チー切りの後、手出しが長考しての、ポンしての、最後のだ。
かなり無理をして手を進めざるを得ない格好であっただろう。
この局ソーズは場にめちゃくちゃに切られているが、村上は動けなかった。
最後に切った周りができている、という感じもしない。
これが生牌のならおそらく切らなかったという。
やはり場1のなのが大きい。
もちろん全ては可能性の問題である。
村上はスルーの直後にの手出しがあったし、そこでターツができたこともある。
しかし他にソーズメンツが想定しにくくて、のターツすらない瞬間でポン発進のホンイツの方が考えにくい。
ではがなかったと仮定すると、
このような手牌から場に2枚切れのを切り、
ポンの後最後に自力でを引いての単騎くらい。
つまり、がないことの仮定、このような限定的な手牌と引きの仮定を経てやっとが放銃になる。
セミファイナル以降のポイントまで意識すると、優はここでオリての3着あるいは4着は到底受け入れられないのだ。
点棒状況を加味して、ここまでの捨て牌、村上の動向まで全てを総合的に判断して、優はを切った。
余談ではあるが、優は前の試合でこんなシーンがあった。
優は今萩原がポンしたを切った。そのとき、萩原の目線を追っていたという。
すると萩原は、自身の手牌を一瞥したのである。
そのため優は、萩原の手牌に他の三元牌があることを確信していた。
手牌が全部数牌であれば、その挙動にはならない。
もちろん萩原の捨て牌の強さ、一鳴きという警戒度の高さも込みだが、
これは正に実戦で、対人競技として麻雀を捉えている優ならではの視点であろう。
優の切り。日本中にこの選択ができる人間が、何人いるだろう。
Mリーグという舞台、100万人以上の観衆の前で、
ドラのなど引けばこれはもう無思考でオリたって誰も責めはしない。
しかし優は、自分の培った経験と読みの精度に殉じて、自身の勝利のために我を通した。
戦闘民族、というキャッチは優の表層的な部分しか表していないのかもしれない。
麻雀メンタリストとしての実戦的な対戦相手への読み、
そしてそれに身を預けて、実行できる勇気がある。
鈴木優は、これまでのグッドプレイヤーたちとは一線を画す、
対人競技としてのMリーグに新たな面白さを吹き込んだ、人間観察のスペシャリストなのである。