牌はただ、在りし日の
ままそこにいて
〜新津潔のリーチを
めぐる攻防
【A卓】担当記者:千嶋辰治 2024年7月14日(日)
麻雀は長く博打の道具として扱われてきた。
第二次世界大戦後の混乱期に「リーチ」や「チートイツ」という役が加えられ、場ゾロによって点数はインフレ化。さらに東京オリンピックの前後に「」が開発されるなど日本独自の発展を遂げた。
昭和の中期〜後期ではテレビにも登場して、一般大衆の娯楽として広く愛されてきた。
そして現代ではギャンブルではない「頭脳スポーツ」として市民権を得ようとしている。
しかし、どんな時代でも牌は在りし日のまま。
博打の道具から頭脳スポーツの道具へと扱われ方は変わっても、牌は牌のままで何も変わっていない。
むしろ変わってきたのは「時代」であり、その時代を作り出してきた「人」の方である。
激動の時代を牌の傍らで過ごしてきたレジェンドの4人。
その面々が紡いだ半荘1ゲームのドラマが、その事実を雄弁に語っていた。
東家:五十嵐毅(日本プロ麻雀協会)
南家:森山茂和(日本プロ麻雀連盟)
西家:新津潔(最高位戦日本プロ麻雀協会)
北家:井出洋介(麻将連合)
起親の五十嵐が親番を離さない立ち上がり。
リーチツモピンフの1,300オール、流局を挟んで2本場ではリーチツモタンヤオの2,000は2,200オールと加点に成功。
そして東1局3本場。
四者によって紡がれた「名局」をご紹介したい。
2巡目。
新津の手でがカンツになった。
「今日は不思議なゲームだった。」
牌の偏りや和了の出方が、あまり見かけないような展開になることが多かったことを不思議と振り返った新津。
このもその一つである。
手が進んだ新津はをカン。
そして、リンシャンから引いてきたのが、
!
想定外のツモに新津も思わず腕組みしてこの表情。
ここはドラ切りとしてシンプルにタンヤオのイーシャンテンにとった。
そして次巡。
をツモって考える新津。
ソウズの横伸びを狙ったか?
に手をかけたが、これが裏目。
思わず左肘が肘掛けから落ちてしまう新津だったが、
さほど時間をかけずにフリテンの両面ターツを手に残した。
リャンカンの選択がズバリはまっていたら新津の先制テンパイだったが、ここからゲームが動いていく。
まずは森山。
7巡目に四暗刻のイーシャンテン。
ここから、
涼しい顔で打。