熱論!Mリーグ【Tue】
勝又健志、覚えているか⁉︎
あのころ君は…
100%麻雀小僧だった
文・長村大【遊軍ライター】2019年1月8日
昔話、である。
旧世代ディープな麻雀ファンの方々であれば、もしかすると筆者の名前を記憶してくれている人もいらっしゃるかもしれない。
23歳にして竹書房主催「第11回麻雀最強戦」で優勝、
ナントカの申し子などと呼ばれて浮かれていたが、その後はあまりパッとしないまま、いつの間にか人知れず麻雀プロ人生にピリオドを打っていた男、長村です、ありがとうございます。とはいっても、もうほとんどの人は忘れているか、そもそも知らない世代なのは筆者も理解しているつもりだ。
じゃあなんでわざわざそんな自己紹介するのか。
自己顕示欲、それも少しはある。でも少しだ(たぶん)。
縁あってこの原稿のお話をいただいた際に考えたことは、「俺に書けることってなんだろう」ということであった。
だから、昔話、なのだ。
正確には思い出せないけれど、もう20年近く前なのは間違いない。
当時、我々はよく遊んでいた。
歌舞伎町のどこぞの雀荘で遊んでは、酒飲む。Mリーガーの中では滝沢選手とはよく遊んだし、他にも当時の若手プロ連中とグズグズしていた。
勝又ともよく戦った。
フリー麻雀、セット麻雀、三人麻雀。
とにかく麻雀であればよかった。
麻雀プロが集まったって麻雀の話ばっかりとは限らないが(特におれは好きじゃなかった)、勝又は違った。100%麻雀の話である。
滝沢とおれと三人、歌舞伎町の隅っこにある小汚ねえ中華料理屋の席に座るなり
「ちょっとタッキー、さっきの打ちはないだろ!」
みたいな会話は日常茶飯事であった。
しかもその後別れて帰宅している途中に、メンツだの場況だのとやたら細かく説明されている長文麻雀メールみたいなのが届いて辟易するまでがデフォルトなのだが、それでもまだ学生だった勝又の、なんのてらいもない、本当に麻雀好きなんですみたいな表情を思い出すと、なんとなく許せてしまうのであった。
二回戦
東家・小林剛 (U-NEXTパイレーツ)
南家・魚谷侑未 (セガサミーフェニックス)
の並び。魚谷のみ連闘となった。
東1局 ドラ
勝又、これをヤミテンとする。
普通に考えればどうやったってリーチだが、場況、つまりソーズの悪さを勘案。
親リーチを受けて、結果流局ノーテンとなった。
読みの通りは薄く、ヤミテンとした以上は当たらない牌でオリるのもいたしかたなし。東パツからしっかりとしたところを見せてもらった。
東1局1本場 ドラ
勝又、今度は先制リーチ。
一手変わりの三色もあるが、1枚切れのシャンポンで行った。
これに飛び込んだのが、仕掛けていた魚谷。
イーシャンテンで現物のドラではなくあえてを押したが、
が通ってしまっては次巡のテンパイでが止まるよしもない。
3200点の放銃となったが、しかし魚谷、1回戦に続いてツイてないな…
東3局 ドラ
6巡目、親の瀬戸熊、魚谷から続けてリーチが入る。
これを受けた勝又。
を押せばチャンタのテンパイ、親の瀬戸熊の現物牌である。
魚谷には通っていないが、個人的にはこれくらいは押していいのではと思った。
勝又の選択は安全牌の中抜き。あーそうかーどうなるかな、と見ていたら次巡即ツモである。
もちろんそういうリスクも承知の上の判断だから後悔はないにせよ、せめて当たっててくれえ! くらいは思っただろうか。表情からは読み取れなかった(ちなみに魚谷にもは通っていた)。
結果はタンヤオドラドラ赤で二人リーチに押し返した小林が、瀬戸熊から大きな満貫ゲット。
南4局2本場 ドラ
勝又 20000