ハロウィンナイトに卓上に
蘇りしは、”アンデッド”?
いいや彼らはもっとタフな……
文・渡邉浩史郎【木曜担当ライター】2024年10月31日
”蘇り”というのはどこの国・地方においても存在する伝承の一つである。
蘇生譚・回生譚と総称されるこれらの伝承だが、よく見てみると大きく二つの性質に分けることができる。
それは同時に”蘇り”とは何か、その定義を問うものでもあるのだが、お分かりだろうか?
答えは「生前と全く同じ、人として蘇るか(性質の保存)」・「全く違うモンスター・化け物として蘇るか(性質の変化)」である。
私は海外のフォークロアやマザーグースに精通しているわけではないため多くは語れないが、少なくとも日本に輸入されてきているそれらのものは後者に分類されることが多い。(一番有名なものは恐らく前者に該当するのだが、お分かりだろうか?)
キョンシー・ゴースト・ゾンビ・グール・スケルトン・マミー、etc……
アンデッド(Undead:死んでいない)と呼ばれることが多い彼らだが、リビングデッド(Living Dead:生ける屍)のほうが意味的にはしっくりくるだろう。
彼らの歴史は比較的新しいものが多く、特に人を襲う・襲われたものが同種のモンスターになるといった要素は近年のファンタジー創作のイメージが先行していよう。
一方で前者は現代においては少し話が変わってきている。
かつては偶然の産物であった心停止・呼吸停止からの復活が、医療技術の発達によって日常レベルにまで適応されてきている。蘇生法の確立やAEDによって、かつてなら間違いなく亡くなっていた命も救われているのだ。
そんな”人としての蘇生”だが、過去から伝承として残されたことには理由がある。
蘇った人間が死後の世界、つまりは黄泉の国や地獄を語ることに宗教的意義があったのだ。
彼らは往々にして”覚者”として扱われ、その地域地域における身近な宗教的逸話として語り継がれる存在となった。
さて長くなった”蘇り”の話だが、今日のMリーグ一戦目にも多様な”蘇り”が発生した。
第1試合
東家:醍醐大(セガサミーフェニックス)
南家:瀬戸熊直樹(TEAM RAIDEN / 雷電)
西家:渡辺太(赤坂ドリブンズ)
北家:菅原千瑛(BEAST X)
【東1局】
瀬戸熊の第一打から動いたのは太。
両面とはいえ、ドラまたぎでドラ表に一枚見えている牌。どうせ仕掛ける手牌なら、後で絞られやすくなるこの両面から動き出すのが吉と見た。
ただの2000点のバック全力!というわけではもちろんなく……
早い巡目の聴牌は当然のように外して、ホンイツのマンガンに舵を切る!
作れる打点は見逃さない太であったが……
このを下家の菅原がチー。
太はこの仕掛けを受けて、引き戻したを手に置いた。
正体不明の捨て牌だった菅原が→のターツ落としの後のカンチーして生牌の。どんな手であれ、形は既に整っていそうだ。
特にありそうなホンイツにのくっつき程度でマンズ2枚は落とせないという判断。
ついでに自身の手も他家視点、で当たるとは到底思えない。
瞬間の和了り率もupした上での蘇りだったが……
こので、早いソウズのドラ跨ぎ両面もケアして降りを選択。
太らしい緩急のついた押し引きを見せてくれた。
続く【東2局】では菅原が魅せる。
親の瀬戸熊がWポンしてドラ切り・ポンして切りに、さらに加カンで全員が降りムードの中……
菅原がこのカンをチーして聴牌を取る。
選択は打。これは簡単に切れる牌ではない。
親の瀬戸熊はドラのを切っていることから、その時点で打点が足りているか形を優先したかのどちらか、あるいは両方に見える。
ポン打で少なくとも形を優先したのが白日の元に晒された中、マンズとソウズが通り過ぎ+かなり分断された。
これにより
・新ドラのを瀬戸熊が持っていそう
・聴牌ならほぼピンズが当たり牌
・通っているを切るとほかのピンズを全部回収しつつ聴牌の目がある
・自身はトップ目
と、押さない理由だけならいくらでも揃っていた。